天叢雲剣・草薙の剣

年代不詳 日本 長さ 約80㎝(推定) 重さ 0.6㎏(推定) 

<形状>

 見ての通りと言いたいところですが、上の画像は滝瓶太郎の創作です。天叢雲剣は言わずと知れた三種の神器の一つ。たとえ天皇といえども自由には見ることのできない宝であるから、その形状について正確なデータを得ることはできないのです。上の画像は、以下2つの資料より滝瓶太郎が創作したものです。

 資料1 江戸時代の書物「玉籤集」に神官4,5人が密かに盗み見たと言う記録がある。

「ご神体の長さは二尺七、八寸。刃先は菖蒲の葉に似ており、中程にむくりと厚みがある。手元の方の八寸あまりは節くれ立って魚の背骨のよう。色は全体的に白かったという話だ。」

 資料2 刀工羽山円真翁が草薙の剣を模造したおりに記したもの

「剣身は両刃で白く、鍔も鉄の一体型で、柄は扁平中抜きになっている。」

 材質は、古来より八岐大蛇(ヤマタノオロチ)に象徴される製鉄技術を持つ土着民族を、ときの権力者が征服した歴史的事実の象徴として見られ、鉄製と考えられている。しかし、表面に錆もなく、色も白いことから、錫を混ぜた銅剣ではないかとの説もある。


<伝説>

天叢雲剣登場

 この剣が日本神話に登場するのは、「古事記」でも「日本書紀」でも同じ記述になっています。それは有名なヤマタノオロチ伝説です。乱暴をはたらき高天原を追放になった素戔嗚尊(すさのおのみこと)が、娘をヤマタノオロチへの人身御供として差し出さねばならない老爺の嘆きを聞き、それを助けるという話。

 素戔嗚尊は、八つの頭と尾を持ち、背中には松や桧がうっそうと茂り、その身は八つの谷八つの峰にまたがるという、とてつもない怪物であるヤマタノオロチに酒を飲ませ、見事退治してしまうのである。素戔嗚尊はその体を愛用の神剣「十握剣(とつかのつるぎ)」でばらばらに切り裂くが、尾を切ろうとしたときに何か硬いものに剣があたり、刃が少し欠けてしまった。そこで取り出されたのが、非常に鋭い剣であった。ヤマタノオロチの頭上が常に雲に覆われていたためそれを「天叢雲剣」と名付け、神剣をも欠けさせるその珍しさにより、姉である天照大神に献上された。

日本武尊(やまとたけるのみこと)の活躍

 はるか後代になり日本武尊とともに天叢雲剣は再び歴史に登場します。日本武尊は「古事記」によれば荒ぶる魂の持ち主の乱世型のヒーローであり、「日本書紀」によれば品行方正な優等生的ヒーローです。日本書紀は大和朝廷による公式文書であり、朝廷の権威付けのために編纂されたという側面もあるため、実際には古事記的な人物であったのではないでしょうか。

 乱暴者として宮中で恐れられ、諸国を平定してまわるという行状から見ても、素戔嗚尊との類似点があり天叢雲剣の所有者としてふさわしいと思われるのです。ちなみにずっと後世の源義経にも同じような性格付けがあり、悲劇の最後を遂げる部分も共通しており、これまた日本人に好かれるヒーローです。日本人って、こういう人好きなんですねえ。

 話は神話に戻ります。クマソを倒し、西方を平定して戻ったタケルでしたが、(ちなみにクマソタケルによりヤマトタケルの名を贈られました)宮中に戻ったタケルには、賞賛やねぎらいはなく、東方の平定命令が下ったのです。朝廷にとってタケルは恐るべき存在となっており、ていの良い左遷だったのでしょう。

 タケルは落胆し、良き理解者である叔母の倭比売(やまとひめ)に相談します。倭比売は伊勢神宮の斎宮であり、伊勢神宮こそ三種の神器[天叢雲剣、八咫鏡(やたのかがみ)、八尺瓊曲玉(やさかにのまがたま)]を納めるために造営された社だったのです。倭比売は天叢雲剣をタケルに授け、無事を祈りながら送り出したのです。

草薙剣

 神剣を授けられ、勇気を取り戻したタケルは尾張の国造の娘ある美夜受比売(みやずひめ)と婚約し、さらに東へと向かいました。そして相模の国で絶体絶命の危機にあうのです。夷の長にだまされ平原に入ったタケルは、長達の放った火に周りを囲まれてしまいました。タケルは天叢雲剣で周囲の草をなぎ払い、さらに叔母にもらった火打ち石により迎え火を焚き、窮地を脱するのです。

 草薙剣という名称は、この事件にちなんで名付けられたと言われています。

(天叢雲剣と言う名称こそが、朝廷の権威付けに後になってつけられたもので、もともと「くさなぎ(奇妙な蛇という意味)」という名称の剣だったという説もあるそうです)

その後

 タケルはその後、東征を成功させ尾張に凱旋し晴れて美夜受比売と結婚しますが、続いて伊吹山の悪神を退治に出かけます。悪神の化身である白猪(日本書紀では大蛇)を倒すことができず、怪しい大氷雨に悩まされ急病になり、やむなく大和へ戻ろうとする途上で命を落とすことになります。(このとき大白鳥に化身して飛び立ったという話もある)

 伊吹山行のおりには、天叢雲剣は愛する美夜受比売のもとに残しており、それが原因で危機を脱することができなかったとも言われているのです。

↑ 静岡県日本平のヤマトタケル像


熱田神宮

 美夜受比売は夫亡き後、長く宝剣を守護しますが、やがて年老いたため熱田の地に社を建立し、ここに天叢雲剣を納めた。その後新羅の僧に盗まれそうになり宮中に移されると言う事件もあったが、天武天皇の病が剣の祟りであるとされ熱田神宮に戻され、現在に至っている。

参考文献「武器辞典」市川定春著 新紀元社

「聖剣伝説」佐藤俊之とF,E,A,R著 新紀元社

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