ナイトテンプラーソード Knight templar sword

「Knights templar」とは、12世紀に組織されたテンプル騎士団のことであり、今回紹介する剣は、その騎士たちが使用した剣であります。形式は、当時の一般的なロングソードの形式に則ったものとなっています。

テンプル騎士団のモチーフは、映画「ダヴィンチコード」や「ドラゴンクエストVIII」、「ファイナルファンタジータクティクス」など多くの作品にも扱われるなど、神秘的なイメージとして現代でも語り継がれています。


(あ、ちなみに埼玉県坂戸市にある当店で購入できるなんて! って思いません?)

以下【フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用・一部加筆【】内


<テンプル騎士団の概要>

テンプル騎士団(テンプルきしだん)は、中世ヨーロッパで活躍した騎士修道会。正式名称は「キリストとソロモン神殿の貧しき戦友たち(羅: Pauperes commilitones Christi Templique Solomonici)」であり、日本語では「神殿騎士団」や「聖堂騎士団」などとも呼ばれる。【「テンプル=神殿」なので、日本語ではそうなったのでしょう】

十字軍活動以降、いくつかの騎士修道会(構成員たちが武器を持って戦闘にも従事するタイプの修道会)が誕生したが、テンプル騎士団はその中でももっとも有名なものである。創設は1096年の第1回十字軍の終了後の1119年であり、ヨーロッパ人によって確保されたエルサレムへの巡礼に向かう人々を保護するために設立された。


テンプル騎士団は構成員が修道士であると同時に戦士であり、設立の趣旨でもある第1次十字軍が得た聖地エルサレムの防衛に主要な役割を果たした。特筆すべき点として、騎士団が保有する資産(構成員が所属前に保有していた不動産や各国の王族や有力貴族からの寄進された土地など)の殆どを換金し、その管理のために財務システムを発達させ、後に発生するメディチ家などによる国際銀行の構築に先立ち、独自の国際的財務管理システムを所有していたとされる事が挙げられる。ヨーロッパ全域に広がったテンプル騎士団は聖地がイスラム教徒の手に奪い返されて本来の目的を失った後も活動し続けたが、1300年代初頭にフランス王フィリップ4世の策略によって壊滅状態となり、1312年の教皇庁による異端裁判で正式に解体された。


<創設と初期の活動>

テンプル騎士団初期の本部、エルサレムの神殿の丘にある。元の神殿の遺構の上にたてられたため、十字軍はその神殿を「ソロモン王のエルサレム神殿」と呼んだ。「テンプル騎士団」の名はこの「神殿(temple)」から取られた

テンプル騎士団の歴史は第1回十字軍の成功にさかのぼる。第1回十字軍は聖地の占領に成功したものの、十字軍参加者の殆どは聖地奪還に満足して帰国してしまい、中東地域に残されたキリスト教勢力(十字軍国家)は慢性的な兵力不足に直面した。この事に憂慮して聖地の守護を唱えたフランスの貴族、ユーグ・ド・パイヤン(英語版)のもとに9人の騎士たちが集まり、聖地への巡礼者を保護するという目的で活動を開始し、すでに活動していた聖ヨハネ騎士団修道会の例にならって聖アウグスチノ修道会の会則を守って生活するという誓いを立てた。エルサレム王国のボードゥアン2世は彼らの宿舎の用地として神殿の丘を与えた。神殿の丘にはもともとソロモン王のつくったエルサレム神殿があったという伝承があった。このことから会の名称「テンプル騎士団」が生まれることになる。


【このとき立ち上がった貴族、ユーグ・ド・パイヤンこそが、中世フランス語読みで「ユーグ・ド・ペインズ」つまり、次回紹介する「ペインズソード」の持ち主となります。】

↑ テンプル騎士団の紋章 ↑

一頭の馬に跨る二人の騎士は、清貧の精神及び騎士にして修道士という二重性を表現しています。下の画像は、今回紹介の剣の柄頭ですが、左右は反転していますがしっかりと紋章が再現されています。

裏面に、二つ目の紋章があるかと思ったのですが、残念ながら表と同じでした。うう。

この画像が、テンプル騎士団の一般的な装束とされています。騎士(戦闘)と修道士(資産管理)と司祭(霊的指導)をそれぞれ表しているようですね。


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